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天神様のより道〜福岡の天神伝説〜
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九州路
 学問の神様・天神様とは、菅原道真公その人である。
 今日の太宰府の姿は、菅公がこの地に流され、終焉の地となったことから始まるのである。
 菅公は死後「天満大自在天神」の神号を贈られ、神様となった最初の日本人といわれる。天神様を 祀る天満宮・天神は全国一万二千社を超え、信仰は今なお篤い。だが、人間・菅原道真の姿は、あまり知られていない。
 菅原道真公が大宰府へ下ることになったのは、ライバルである藤原時平との政争に敗れたからだ。
「右大臣はクーデターをくわだてている」。身に覚えがない罪を着せられた菅公の嘆きのほどは、想像を絶するものであった。
 菅公は延喜元年(901)梅御殿を辞し、大宰権帥(だざいごんのそち)として西都・大宰府へと旅立った。わずかな供と京都から大阪を経て、瀬戸内の泊を飛び石づたいにしゅくしゅくと下っていく。
 普段は絶対にお目にかかるはずがない雲上人は、庶民の目にどのように映ったのだろう。外聞もはばからず嘆き悲しむ貴人の姿に、深い同情と強い驚きを覚えたに違いない。菅公が立ち寄った場所では、あまりに人間くさい姿が、そのまま伝説として残されている。
 福岡県には数多く菅公伝説の地があるが、今回はその中でも興味深い場所をピックアップしてみた。
菅公ゆかりの地
九州の第一歩 〜綱敷天満宮(福岡県椎田町)〜
 大宰府へ向かう菅公ご一行は瀬戸内を航行中、暴風に遭う。風雨を避けるために上陸したのがこの椎田の浜。図らずも、九州上陸第一歩となった。
 急で予定外の貴人の来着である。満足におもてなしするすべもない。
 ぼう然と立ちつくす菅公に、漁師が舟の纜(ともづな)を巻いて「しとね(ざぶとんのようなもの)」替わりに座っていただいた。ああ、おかわいさうに。おともの人々は、涙を流した。菅公はこの漁村で数日休まれ、旅立った。
 955年神託があり、社が造営された。この伝説をもとに、天神を祀る「綱敷天満宮」と命名されたという。別名「浜の宮」の境内には梅が千本植えられ、毎年「梅祭り」が開催される2月には、さわやかな梅の香が漂う。参道には露天が並び、早春を愛でる人が多く訪れる。
 梅の時期が過ぎれば、天満宮前に広がる「浜の宮海水浴場」に人が集まってくる。3〜5月は潮干狩りに、夏休みは海水浴客でにぎわう。この海岸で採れるアサリは「椎田あさり」といわれ立派なブランドとなっている。
 つかの間の休息を得た菅公の、心づくしのプレゼントかもしれない。
※「綱敷」の伝説は、神戸市須磨区や福岡市博多区にもあり、それぞれゆかりの天満宮、天神が残されている。
綱敷天満宮参道
綱敷天満宮参道
綱敷天満宮本殿
綱敷天満宮本殿

街をつくった天神 〜水鏡神社(水鏡天満宮・福岡市中央区)〜
 袖の湊(博多港)に達した菅公一行は、船を乗り換え四十川(現薬院新川)を上る。
 今泉という村の付近で菅公は、川面に映った自分の姿に目を疑った。長旅でやつれ果てた顔…。哀しみをますます深くせられたという。
 その後、今泉には社殿が建てられ「水鏡天神」「容見天神(すがたみてんじん)」と呼ばれるようになったという。
 1612年筑前五十二万石に封じられた黒田長政により、水鏡天神は中央区天神一丁目の現在地へと移築遷座された。 一説によると、福岡城建築の際に城の鬼門となる方角に強力なパワーを持つ天神を配し、霊的な防御をかためたという。風水的な町づくりである。以来、この界隈は「天神町(てんじんのちょう)」と呼ばれるようになった。 九州一の繁華街・天神の始まりである。
 オフィスビルが林立するど真ん中にある境内に足を運ぶと、都心の喧噪から解き放たれ、神聖な空気が漂っているのを感じるだろう。見上げると、空が高い。400年近くもこの町を見守ってきた天神様は、今も静かにたたずんでいる。
 水鏡天満宮にお参りしたら、参道横の「天満宮横丁」へ。老舗ラーメン店からおしゃれなレストランバーが、長屋のように建ち並んでいる。
 時の流れが止まったかのような不思議な感覚とともに、福岡・天神を味わってほしい。
水鏡天満宮
水鏡天満宮
天満宮横丁
天満宮横丁

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