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ホーム財団アラカルトRoad to Dazaifu|歴史の道・時の扉 燃えさかる伝統の炎・肥前磁器の里 その1(佐賀県有田町)

財団アラカルト
TheRoadtoDazaifu 〜太宰府への道〜
2009年02月26日

歴史の道・時の扉 燃えさかる伝統の炎・肥前磁器の里 その1(佐賀県有田町)

1.日本の“焼物”が進化し深化し続ける地

 山が砕かれ、あらわになった白い地層が、雨に洗われていた。
 ここは、佐賀県有田町の泉山磁石場。約400年もの間、磁器の原料となる陶石を産出し続けてきた。展望台からは、扇形にえぐられた採石場が見渡せる。
 この山に白磁鉱が発見され、有田焼を代表\とする肥前磁器が産声を上げた。のみならず、日本の陶磁器技術を大きく前進させ、この山から生まれた製品が世界美術史の1ページを飾った。
 山間の小さな街の、世界へつながる時空の扉を開けてみよう。
 
泉山磁石場は歴史の風景
泉山磁石場は歴史の風景
●宝の山・有田泉山磁石場
 
 朝鮮半島から連れて来られた陶工李参平が、有田泉山に白磁鉱を発見したのは、1616年(1604年説もある)。一般的には、この発見が日本の磁器製造の夜明けとされている。
 1897年(明30)には、10,024トンが採掘されたという。実際には採掘された岩石の約4割しか磁器の原料として使用されないというが、この一山をくりぬいてつくられた器の数は、想像もつかない。明から清への王朝交代で内乱状態が続いた17世紀半ばは、中国からの磁器輸出がとだえ、出島のオランダ商館から輸出された肥前磁器が“IMARI”の名でがヨーローッパに大量に持ちこまれた。
 オランダは肥前磁器の独占貿易で、ガッポリと儲けたという。この山からの産物は、肥前鍋島藩のみならず遠い国の経済も支えていた。そんな宝の山だった。

 焼物の心得がなくても、十\分に観ずるところのあるこの景色には、磁器製造400年以上に列島の焼物文化一万年の時間が集積しているといっても過言ではない。

 歴史の教科書でおなじみの縄文時代、弥生時代という言葉は、土器の紋様や形式から時代区分の名前が付けられたのは、周知の通りだろう。
 縄目紋様が施された素朴な土器は、青森や佐世保で出土したものは放射性年代測定で、1万2000〜1万6000年前には焼かれ始めたとされる。世界最古の土器である。
 列島における土器文化の起源はナゾだが、同時期の極東で同じような形式の土器文化が発見されており、土器技術を持った人々の往来があったことは疑うべくもない。列島において、縄目文の土器は独自に発展し、列島各地でさまざまなバリエーションが派生し、時間にして1万年もの長きにわたって「縄文文化」を形成した。
 海の向こうから稲作が伝わる中で、土器技術は“イノベーション”する。列島から、いつしか縄文土器は姿を消し、より洗練され生活になじんだ弥生土器が定着し、浸透していくことになる…。

 日本列島史は、海外からの刺激と国内での深化の積み重ねだというが、それは焼物の歴史も同様だ。海の向こうから伝わった先端技術という刺激による“進化”と、技術を我がものとし精度を高めて独自の味付けをする“深化”の繰り返しが、日本列島に古くから豊かな焼物文化を醸成してきた。創る者には創る側の、使う者には使う側の、それぞれの立場からの焼物への愛が1万年もの間受け継がれてきたわけだ。

●焼物という記録媒体

 生活必需の工芸品でもあり、美術品でもある焼物は、それ自体“情報”でもある。焼成や絵付け、原料などの作陶技術の情報なしには、焼物は完成しない。器の形(なり)といった美しさや見所、来歴などのバックボーンといった、焼物の美術工芸的価値を決定する情報もある。こういった“情報”は、読み方を変えると全く違う情報を提供してくれる。
 
 器というカタチは恐ろしくもろい。ちょっとした衝撃でくだけてしまい、完成品としての価値もくだけてしまう。だが、くだけ散ったその“かけら”は案外と丈夫なものだ。もともとが土や石であるはずなのに、土の中で何千年と眠っていても、土に還らない。発掘された土器から時代が推定されたのは、“縄文”時代や“弥生”時代だけではない。紋様や成分、形式、製造法など、研究者によるち密な分類・研究の成果が前提となるが、焼物はその遺跡の年代、性格などを裏付ける説得力の証言者なのだ。

 小さな焼物の破片が伝える情報は大きい。作陶された場所の風土や作り手の人間性や感性といった情報も含まれているのだ。ITでは磁気を応用してデジタルデータ(電気信号)を保存する。磁器などの焼物は、土を熱して硬質化させて情報を封入させた記録媒体という見方もできるのである。
 
 前口舌がずいぶんと長くなってしまったが、現在私たちが手にする有田焼にもこのような“情報”が焼き付けられているのを再確認しておきたかった。
 日本列島焼物史1万年からすると、有田町を中心としたエリアで行われた磁器製造約400年はわずかな期間でしかない。だが、有田焼での磁器作陶のはじまりは、我が国の焼物史上最大の技術革新とされるエポックメイキングである。
 磁器製造の技術をもたらしたのは、朝鮮からやって来た陶工である。が、以降の有田焼の隆盛は、技術導入以前の1万年の歴史という下敷きがあったればこそ、という側面は否定できない。繰り返しになるが、有田焼のバックボーンの象徴といえる泉山は進化と深化を物語る“万年の風景”だ。
 
展望台には解説展示もある
展望台には解説展示もある
 泉山磁石場は以前、水墨画の巨岩のようにそそり立つ山なりが印象的だったが、2005年の福岡西方沖地震で一部崩落した。天草で産出される良質な陶石に押され、まだまだ埋蔵量はありながらも明治時代でその役割を終えていた。
 今は国指定史跡として静けさの中にたたずんでいる。(続く)
 

 


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