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ホーム財団アラカルトRoad to Dazaifu|歴史の道・時の扉 燃えさかる伝統の炎・肥前磁器の里 その4(佐賀県武雄市)

財団アラカルト
TheRoadtoDazaifu 〜太宰府への道〜
2009年03月06日

歴史の道・時の扉 燃えさかる伝統の炎・肥前磁器の里 その4(佐賀県武雄市)

4.深化する伝統と伝承

●肥前の焼物の広がり
 
 17世紀初頭に誕生した肥前磁器は、朝鮮人陶工のもたらした半島の焼成技術と、明国の景徳鎮窯(けいとくちんがま)で行われていた染め付け技術をお手本とした。1644年に王朝交代に伴う内乱が勃発すると、景徳鎮窯からのヨーロッパ向け流通が途絶えた。オランダ東インド会社は、代替品を日本に求めたため、肥前の磁器窯は飛躍的に発展した。この時期に、中国から技術を取り入れた。ある期間、肥前磁器は国内流通とヨーロッパ向け流通をほぼ独占したといっていい。
 特に、1647(正保4)年ごろに、酒井田柿右衛門によってはじめられた赤絵技術は、高級色絵付磁器としての“有田焼”の礎となった。肥前磁器は当時、出荷港の名前から“伊万里焼”と呼ばれた。伊万里から出荷された陶磁器の中には、波佐見(はさみ)焼(長崎県波佐見町)や平戸焼(長崎県平戸市)、唐津焼なども含まれている。肥前には高級品の磁器窯だけではなく、多様な焼物が作られていた。
 
黒牟田焼の中心丸田窯の丸田宣政さん
黒牟田焼の中心丸田窯の丸田宣政さん
世界最大規模全長23mの登り窯飛龍窯
世界最大規模全長23mの登り窯飛龍窯
 歴代佐賀藩主御用達のいで湯の街として知られる佐賀県武雄市。ここに黒牟田窯という焼物の里がある。黒牟田窯は、慶長・天慶の唐入りのときに日本へ帰化した朝鮮陶工・宗伝ら陶工集団によって開かれたという。周辺には30近くの窯跡が点在しているというから、かつては大規模な群窯(ぐんよう)があった。伝世品や発掘品から開窯以来、黒牟田では一貫して庶民の暮らしで使われる器を生産し続けてきたことがうかがわれる。
 
 現在でも隠れ里といった風情の黒牟田では、丸田宣政窯を中心に伝統の技法を守りながら、今の暮らしに取り入れやすい民芸陶器が生み出されている。焼物は生活の中で活きる工芸品だ。肥前の焼物といえば磁器いうイメージが強いが、どうしてどうして陶器の生産も活発だった。藩は違うが、唐津焼という陶器ブランドもあるのだ。
 朝鮮から伝わった技術は、肥前各地に窯の火をおこし、聖火リレーのように現在まで大切に守られている。

 黒牟田には、全長23mで世界最大級の登り窯とされる「飛龍窯」もある。昭和20年代ごろまで使われていた登り窯をもとに、1996年に有田町などで開催された「世界炎の博覧会」開催を記念して築かれた。湯呑み茶碗なら一度に12万個も焼けるという。陶芸教室や物産販売、イベント会場としても活用されている。黒牟田焼の伝統の一端を知るスポットとして訪れてみるといいだろう。

●現代工芸・伝統と創造

 伝統工芸品は“歴史”と“今”が共存している。作家は、バックボーンとなる伝来の技術をもとに、新しい世界観を作品にこめる。“お宝”と呼ばれる伝世品は、歴史とその時代、さらに作品が過ごした時間によって熟成され、価値が出るのだろう。現役作家の作品は、継承され伝えられた技術の熟成の上に、さらなる作家の創意や作家自身の熟成も加わる。
 歴史の重さは、両者に違いはない。

 有田焼も約400年の歴史で様変わりしてきた。技術や生産される器種、紋様や絵柄の流行など、時代によって作品の傾向も異なる。作家や職人は日々、技術の継承と技術革新を行い、その積み重ねが形となって残っているわけだが、それはニーズやウォンツに基づいている。作品作りに、消費者も参加していることになる。肥前磁器はそうやって進化し深化してきたのだ。
 
人間国宝の中島宏氏
人間国宝の中島宏氏
 最後に、武雄市に窯を構え、2007年に人間国宝(重要無形文化財保持者認定)になった中島宏さんにお話をうかがった。中島さんは青磁を追求し「中島ブルー」と呼ばれる独特の色を編み出した。「少々跳ね返った人間でないと、創造はできない」とおっしゃる中島さんだが、独自の色に出会うまでに、数多くの作品に触れた。窯跡や陶片を捨てた物原(ものはら)もずいぶんと訪ね歩いた。過去の作品の写しも数多くこなした。
 伝えられた技術に創造を加えたものが“伝統”で、伝えられた通りを守ることが“伝承”。ともすれば混同しがちな言葉に明確な線引きをした上で「伝承は地下水で、表にあふれ出たものが伝統」と表現された。
 窯変(ようへん)という言葉がある。磁器を焼く際、炎の性質や釉(うわぐすり)の含有物質などが原因で予期しない釉色(ゆうしょく)・釉相が立ち現れることをいう。
 この変化を「面白い!」と感じられるかが感性であり、計算して再現し、さらなる窯変を意図的に引き起すことが「プロの仕事」なのだという。伝統とは感性が作り、体系化された伝統が伝承となる。この循環が400年の間、肥前でずっと行われてきた。
 「作家は、多くの人に作品を見てもらうことが大事だ」と中島さんは繰り返して強調した。作品展に出品し、出展されると多くの目に触れることになるし、展示会場で自分の作品を見ると新たな発見もある。もし、落選して展示されなかったとしても、それは糧になるのだ。

 多くの人にチャンスを−。そういう意図で中島さんらが実現に奔走したのが九州国立博物館で開催中の「工芸のいま・伝統と創造」だ。焼物に限らず九州の工芸家137人(故人を含む)の作品に触れられるまたとない機会だ。

 観覧後窯元や工房を訪れ、作品や作家と触れ合い、周辺を歩き、作品のバックボーンに思いを巡らせていただきたい。そうすることで、私たちも「伝統」の創造に参加できるのだから。
 (文責・高野龍也)
 

肥前黒牟田焼ホームページ

 


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